★指導案の検討段階からかかわる指導主事
さて、前回、
あるラジオ番組で、
元小学校教師で、
某有名大学名誉教授が、昔の授業研究会や
指導主事がなどについて、
(おそらく40年以上前くらい前)
について、それを称賛するような話の内容について、
そうでもなかったよ的なお話をしました。
今回はその続きです。
その某大学教授は
こんなこともおっしゃっていました。
研究授業を行うに当たっては、
指導案検討のための
事前研究会もあり、そこにも指導主事が来てくれた。

板書や発問について、
みんなで、あーでもない、
こーでもないと議論が交わされ、
授業後の研究会だけでは
得られない学びがあり、充実感があった。
こんな感じの内容でした。
で、どうだったか言いますと、
本当にそんな感じでした。
指導主事は、本番の授業の助言だけでなく、
指導案検討の段階から、
話し合いに加わったりしてくれていました。
毎回ではありませんでしたが、
指導案検討も一緒にやってくれたのです。
今も地域によっては
そうなんじゃないでしょうか。
指導主事を交えての検討会は、
たしかに深い学びがありました。
仲間との絆も深まった気がします。
★正直、嫌でした
しかし、実力がついたかと言われると、
必ずしもそうではなかったのではないかと思っています。
なぜかというと、
授業って、ある意味オーダーメイドなのです。
一人ひとりの教師には個性や特性があります。
授業の展開の仕方にも
その個性が反映されています。
たとえば、
スピード感が売りの教師もいれば、
ゆったりとした進行の中にあって、
うまくメリハリをつける教師もいます。
子どもを惹きつける話術が
長けている方もいれば、
自分が話すより、
子どもに話をさせるのが得意な教師もいます。
また、魅力的な教材を開発し、
教材で子どもたちの関心を
高めるのがが得意な方もいれば、
地味な教材でも
「問い」や「発問」の工夫で、
子どもの意欲を引き出すのが上手い方もいるのです。

そんな多様な個性をもつ教師集団に対して、
みんなで指導案を検討し、
同じデザイン、同じサイズに統一してしまったとしたら、
何が起きるかは明白です。
その人には似合わない服を着せられてしまうのです。
ですので、
私は正直、この指導主事との指導案検討会が嫌でした。
★自分の力とかけ離れた授業
私は口下手なので、どちらかと言えば、自分で話すよりも、
子どもたちに話してもらうことの方が心地よかったのです。
しかし、私の若い頃の授業といえば、
教師の深い教材解釈力や、発問の吟味、
授業コーディネート力、
ファシリテーション力などが問われ、
いかに教師が授業をリードし、
芸術的、職人的に授業を支配していけているか。
そういったことが、授業の観点になっていました。
ですので、
指導案検討の段階においても、
このような力が求められる授業案を目指すわけです。
しかし、私には無理でした。
自分の力とあまりにかけ離れた授業をやらされる苦痛は、かなりのものでした。
私は自分の力量よりも、
少し背伸びするくらいの授業を見てもらい、
これからどのように改善していけばいいのかを、
みんなで考える授業研究会をしたかったのです。
しかし、事前に統一された指導案が
出来上がっていてしまうと、
どうしても、その指導案の展開に
沿った授業しかできないわけです。
ですので、私の場合、
代表授業、公開授業はことごとく失敗でした。

その記憶しかありません。
★今の時代に合った授業研究会を
今はどうでしょうか。
個別最適で、
オーダーメイドの授業研究は進んでいるでしょうか。
日本の授業研究が、
昭和、平成の時代を超えて
「令和型」になっていくことを願っています。
前回もお話ししましたが、
いつの時代も、年寄りは「昔は良かった」と
なんでもノスタルジックに語ります。
そんな武勇伝を語るお年寄りの話に
耳を傾ける必要はありません。
ぜひ、若い方々は、
今の時代に合った授業研究会を
模索していただければと思います。

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